ZIG ZAG WALK

おもしろきことは,よきことなり。

万障エクスタシー

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土砂降りの雨の中。

壊れかけの傘が強風でさらにきしんでいる。

「どっちだろう・・・」

前へ進もうにも目的地の方角がわからなかった。

 

「はあ・・・」

隣からはわざと聞こえるようため息が聞こえる。

そりゃそうだ。

まさかこんなことになるなんて。



先週,息子が通っている保育園の遠足があった。

働く両親のために子どもを預かってくれるのが保育園の役割だった気がするが,息子が通う保育園は平日に親子参加の遠足が組み込まれていた。

親が参加できなければ自宅での保育となる。

一般的に求められる役割からすれば意味がわからない仕組みだ。

ただ,子どもと遠出することがあまりない家庭のための行事と思えば,そんな気もする。

 

我が家も,妻より私の方がスケジュール調整ができたため,私と息子で参加することにしていた。

「楽しみ〜」と息子。

保育園から帰る途中に寄ったスーパーで,友達と食べるおやつを息子はあれやこれや悩んで買っていた。

 

遠足は,諸般の事情で市外の博物館に行くことになっていた。

前日になって,妻もなんとか仕事をやりくりして参加することが決まった。

保育園での最後の遠足なので,妻も一緒に行きたかったのだろう。

日付が変わるまで仕事をして帰宅した後,子どもたちを寝かしつけた私に代わり,数時間仮眠して早朝から弁当の用意をしてくれた妻の苦労は計り知れない。

 

遠足当日。

出発時には降っていなかったが,昼から夕方にかけての予報は雨だった。

念のため折り畳み傘をバッグに入れておいた。

自宅から保育園には距離があり,送迎はいつも車である。

この日も近くのコインパーキングに駐車して,そこから歩いて保育園へ。

一同保育園に集合した後,バスに乗り高速道路で目的地へと向かった。

 

途中のサービスエリアでトイレ休憩となったところで,息子の異変に気がついた。

元気がない。

「どうしたの?」と尋ねると,

「気分が悪い」

バスの車内は人がいっぱいで空気がぬるくこもっていた。車酔いでもしたのだろうか。

 

とりあえずは大丈夫のようだったので元の席に戻らせ,目的地へとバスは向かった。

 

目的地である博物館に到着した。

楽しみがあふれて仕方がなくワイワイと騒ぐ園児たち。

その中で一人顔色が悪い息子がいた。

 

先生から連絡事項を聞いた後は,館内を自由に見学できることになっていた。

集合時間が告げられて解散の合図を機に,それぞれの親子が散っていった。

私達も館内を歩き始めたが,息子の元気は回復していなかった。

「気持ち悪いなら座っとく?」

首を縦に降ったので,近くの椅子に座って様子を見ていた。

縦にも横にも広い空間に,子どもたちの姿と声がかけまわっている。

 

しばらくしても回復の兆しがなかったので見学をあきらめ,弁当を食べる団体用のフロアへと移動した。

「少し寝たら気分がよくなるかもよ」

もちろん食欲などないとのことで,ランチシートの上で息子はあおむけにゴロンとなっていた。

その横で,妻が睡眠時間を削って作ってくれた弁当を大人二人で食べる。

 

「最後の遠足だったのに,残念だね」

「そうだね」

「なんでうちの子どもたちは,魔が悪いのだろう」

そうなのだ。大事な行事のときに限って,二人の子どもたちは怪我をしたり,風邪を引いたりする。

そのために,スケジュールが吹き飛んだり,楽しめなかったりする。

事前に色々と準備してきたのに無駄になる。

本人にも辛いだろうが,親にとっても脱力感この上ない。

 

もそもそと二人で食べているうちに,見学を終えた親子たちが弁当を食べるため続々とフロアへと帰ってきた。

騒々しくなる周辺。

こんな状況じゃ眠れなくなると思って息子の顔を覗き込むと,先程より顔色が戻っていた。

少しは回復したようだ。

「お茶欲しい」

起き上がった息子にお茶を渡すと,ごくごくと飲んだ。

「食べる?」

「まだいい」

そう言いながら周りを見ていた息子の顔が,急に笑顔になった。

 

「あ,○○くんだ」

仲が良い友達が弁当を食べているのを見つけたらしい。

三人で眺めていると,他の園児が息子の元へやってきた。

「これ,あげる」

袋から飴玉を1つ取り出して息子に渡してくれた。

続いて,別の園児もやってきて息子にグミを渡してくれた。

 

しつけなのか遊びなのか,子どもたちの中でお菓子の与えっこをすることになっているらしい。

そういえば,昨日スーパーでおやつを選んでいるときも,誰々にあげるんだとか言いながら選んでいた気がする。

「ちょっと行ってくる」

「大丈夫なの?」

「うん」

息子は買ったおやつを友達に配りに出かけていった。

「車酔いだったのかな」

「元気になったみたいだし,そうみたいね」

遠くの方で友達と笑いながらお菓子を交換している息子を見て,少し安堵した。

 

大人二人で食べても残った弁当を片付けていると,たくさんの違う種類のお菓子を持った息子が帰ってきた。

「○○くんから,もらった」

「よかったね」

にこにこしながら,お菓子をボリボリと食べていた。

食欲も戻ったのだろう。



よかった,と思った次の瞬間。

オエッ。

場に似つかわしくない音に続いて,息子の口から液体が滝のように流れてきた。

私はとっさに,両手を差し伸べたが,とても収まる量ではなかった。

手の隙間からコートの袖口をとおり,肘のほうへと流れていくとともに,大半は床に引いたシートへとこぼれていった。

「もう!」

妻のやり場のない声。

 

「大丈夫ですか」

先生がかけつけてくれて,お手拭きや雑巾を渡してくれた。

なんて用意がいいんだろうと思いながら,汚物を拭き取りビニール袋に詰め込む。

ランチシートも使い物にならなくなり一緒に放り込んだ。

掃除の途中で,妻の衣服も汚れてしまったが,唯一の救いは,吐いた本人の服がほとんど無傷だったことだ。

 

「これからどうしようか」

掃除を終えて手洗いから戻った後,妻から尋ねられた。

息子が今からも嘔吐しないとは限らない。

長距離を生暖かいバスに揺られて帰るかと思うと,その可能性は高いように思えた。

かといって,タクシーで帰るには距離が遠すぎて金額が読めない。

駅は近かったが,電車であったとしても時間がかかってしまう。

悩んだものの選択肢はなかった。

「しょうがない。新幹線で帰ろう」

 

先生方に事情を説明し,三人で博物館の外に出た。

天気予報は見事に的中し,横殴りの雨が降っていた。

用意しておいた折りたたみ傘を取り出し,広げる。

が,広がらなかった。

1年以上使用していなかった傘は,ちょうつがいの部分が錆びついているのか動きが悪かった。

上下に力を入れていると開きはじめたが,長時間折りたたまれていたので,全開にしようとすると傘の部分が逆に広がってしまう。

 

ようやく開いた傘をさしながら,雨の中を歩きはじめた。

汚物入りのビニール袋を片手に持って。

妻も,折りたたみ側に息子を入れて横に並んで歩いていた。

雨はだんだん激しくなってきた。風も時折強く吹き付け,傘が折れそうなくらいしなる。

2つの傘は雨脚に比べて3人の親子を守るには全く不十分で,足先だけでなく体にも水滴がついた。



しばらく歩いたところで,駅の方角がわかっていないことに気づいた。

近くのはずなのだが,案内看板が見当たらない。

「どっちだろう・・・」

「駅どこだろうね。あっちかなあ」

吐いたおかげで気分がよくなったのか,息子の声は腹が立つくらい明るくなっていた。

「・・・あっちじゃないの」

妻が,街灯に掛かる案内板を見つけた。

 

「靴の中もびしょびしょになったわ」

確かに,私もつま先が冷たくなってきた。

「なんで,いつもこうなるのだろう」

確かに,何度思い出してもうちの子どもたちは魔が悪い。

「せっかく,無理して仕事休んで,朝から弁当用意したのに」

確かに,頑張って用意したのに報われてないな。

「遠くまできた結果が,博物館に来て吐いて帰るだけ」

確かに,そのとおり。

「しまいには,高いお金払って新幹線で帰るだけ」

 

その言葉を聞いて,急に笑いがこみ上げてきた。

こんな,報われないことがあるんだ。

こんな,絵に書いたような不運なことがあるんだ。

 

でも,これって誰かに責任があるのか?

吐いた息子か?

結果的に無駄になった弁当を作った妻か?

液体を支えきれなかった私か?

おやつを配ってくれた友達か?

目的地を決めた保育園か?

すんなりと広がってくれない傘か?

激しく雨を降らせる雲か?

 

責任というより,すべての事象が偶然あわさったに過ぎない。

いやひょっとしたら,ちょうどこのようになるようになっていたのかもしれない。

どちらにしても,これを大不幸と捉えるか,まれに見る奇跡の事象と感じるか。

それは実は,私の,自分だけの認識次第なんじゃないか。

良いも悪いも。

うまくいったこともうまくいかないことも。

期待も不安も。

全ては,自分の価値観が投影されたもの。

 

だから普遍的な客観的なものとしての事象には,

良いも悪いもないし,

うまいくったことも,うまいくいかないこともないし,

期待も不安も存在しない。

世界は,自分が決めているんだ。

 

頭の中で引っ張り続けられていた糸が,プツリと切れてしまった。

これまでの人生の中で積み上がっていた不安,期待,後悔といった感情が,ガラガラガラと崩れていった。

激しい雨の中,私はひとり大声で笑っていた。

笑うしかなかった。

本当に。



「うわ~。速いね〜新幹線」

「そうやろ。15分で博多までつくよ」

「すごいね~」

流れる景色を見て息子が興奮していた。

「いいねえ,新幹線乗れるなんて,棚ボタやん」

妻の皮肉が聞こえる。もちろん,息子には伝わりはしない。

「遠足の思い出が,ゲロ吐いて新幹線で帰るとか,普通はおもしろ体験だよ」

ちょっとした笑いが漏れた。

「友達とお菓子の与えっこができただけでも,いいんかな」

「あ,駅!」

気分が悪かったことなどすっかり忘れ,今を楽しんでいるようだった。

 

自宅近くの最寄り駅で降り駅舎の外へ出ると,雨はあがっていてちょっとだけ晴れ間が見えた。

さっきの雨模様は何だったのか。

「はあ・・・」

妻がため息をつく。

「まあ,無事に帰ってこれたからいいやん」

慰めにもならない言葉をかける。

でもそれは私の本心だった。

 

息子と歩くそんな私に向けて後ろから妻が一言。

「車,置いてきたね」

「あっ」



うまいかないことも楽しむこと。

瞬間に湧き出てくる感情を無理やり制御することは難しいだろう。

でも,一呼吸おいて思い出せばいい。

 

すべてを許そうぜ。